こんにちは。早野です。
この仕事をしていると、
ありがたいことに「先生」と呼ばれることがあります。
ただ、正直に言うと――
ずっと違和感がありました。
ぶっちゃけ、
👉 そんなに立派な人間ではないです(笑)
もちろん、勉強を教えることもあるので
「先生」と呼ばれるのは分からなくもないのですが…
どこかで、
「実態以上に評価されてしまっているのでは?」
そんな感覚があったんですよね。
「先生」という言葉のデメリット
実はこれ、良いことばかりではないなと感じています。
なぜかというと…
👉 「自分なんか無理」と思ってしまう人が出てくるから
・あの人だからできたんでしょ
・特別な人なんでしょ
・自分とは違う世界の人
こうやって距離ができてしまう。
でも、これは本当にもったいない。

だからこそ「しくじり早野先生」
そこで考えました。
いっそペンネームを――
👉 「しくじり早野先生」にしようかなと(笑)
カッコいい成功者ではなく、
✔ 失敗してきた人
✔ うまくいかなかった人
✔ 遠回りしてきた人
そんなリアルな姿を見てもらった方が、
👉 「あ、自分でもできるかも」
そう感じてもらえるんじゃないかと思ったんです。
この話の目的
私の目的はシンプルです。
👉 私よりも、もっと良い人生を送っていただくこと
そのために、
✔ 私のしくじり
✔ そこから得た教訓
✔ うまくいかなかったリアル
これを包み隠さずお話ししていきます。
というわけで…
ここからは、
👉 「しくじり早野ストーリー」
をお届けします。
某テレビ番組のように(?)
少しでも楽しみながら読んでいただけたら嬉しいです。

しくじり先生、オレみたいになるな
小学生時代のしくじり|フロル星人と呼ばれた男
時は――平成が始まったばかりの頃。
私はというと、
ちょっと変わった子どもでした。
そして小学校高学年のとき、
つけられたあだ名がこちら。
👉 「フロル星人」
……なかなかパンチありますよね(笑)
フロル星人とは何か
「フロル星人」というのは、
国語の教科書に出てくる宇宙人。
小学校5年生の教材、
『おみやげ』という作品に登場するキャラクターです。
つまり――
👉 「あいつ、宇宙人っぽいよね」認定
を受けたわけです。

フロル星人:国語の教科書のおみやげより
★なぜそうなったのか?
今振り返ると、
・空気を読むのがちょっと苦手
・マイペースすぎる
・周りとズレている
そんな特徴があったのかなと。
いまで言うと、
👉 ASD的な傾向があったのかもしれません。
当時はそんな言葉もなかったので、
ただただ「変わったやつ」扱いでした(笑)
★ポジティブに見ると…?
とはいえ、見方を変えれば――
👉 「独特な感性を持っていた」とも言える
たとえば、プロ野球選手の
新庄剛志 もそうですよね。
阪神タイガース時代、
監督だった 野村克也 に
👉 「宇宙人」
と呼ばれていました。
常識にとらわれない発想や行動が、
そう見えたわけです。
良く言えば
👉 個性的
悪く言えば
👉 変わっている
……まあ、シンプルに言うと、
👉 「ちょっとズレてた子ども」ですね(笑)
新庄剛志(現・北海道日本ハムファイターズ監督)は、
阪神タイガース時代に恩師・野村克也監督から
その独特な感性と常識に縛られない言動を「宇宙人」と命名された。出典:スポーツナビ

20億円だまされても明るいエニアグラムタイプ7の新庄選手。私もタイプ7。
時代の空気感(なつかし話)
ちなみにこの頃は――
・1993年、1994年あたり
・ドラマ『家なき子』が大ヒット
・テレビが完全に主役の時代
今の子からすると、
👉 「スマホもYouTubeもない世界」
ちょっと信じられないですよね。
音楽で言えば、
藤井フミヤ がめちゃくちゃカッコよかった時代。
CDやカセットテープの時代でしょうか。

マイペースすぎて「遅野」と呼ばれる
さらに追い打ちをかけるように――
サッカーでは、
コーチからこんなあだ名をつけられます。
👉 「遅野(おその)」
……はい、完全にディスですね(笑)
★なぜそんな名前に?
理由はシンプル。
👉 とにかく動きが遅い
・のんびり
・マイペース
・急がない
今でこそ「自分のペースを大事に」と言えますが、
当時はそんな優しい世界ではありません。
ただ、足自体は速かったのですがw
時代はまだ“昭和気質”
当時はまだ、
👉 気合いでなんとかする時代
冬でも関係なし。
コーチが「気合いを入れる」と言って――
👉 ビンタ
……今なら完全にアウトですね(笑)
しかも本人は
👉 「効くー!」
とか言ってるんですよ。
今思うと、
👉 ドMかと(笑)
当時は「24時間戦えますか?」というCMが流行った時代。
今だと「ムリです」という感じですが、
当時は24時間戦えそうな気もしましたよねw

テレフォンカード版w
後年わかる「本質」
そして後になって言われた言葉がこちら。
👉 「大学で一番テキトー」
👉 「日本一マイペース」
……ああ、なるほどと。
つまり、
👉 昔からずっと変わってない(笑)
中学時代のしくじり|まさかの“授業ジャック事件”
さて、中学1年生のときの話です。
私は相変わらず――
👉 授業中にうるさい男子の一員でした(笑)
周りの男子と一緒にガヤガヤ。
すると、ついに保健体育の先生がキレます。
※当時は男女別教室でした
先生が放った言葉はこちら。
👉 「早野、お前が授業をしろ」
……え?
普通ならここで黙るところですが、
👉 私は素直に従いました(笑)
教科は――
👉 保健体育
しかも思春期ど真ん中。
これはもう、
👉 ネタの宝庫です
結果どうなったかというと…
👉 下ネタ満載の授業がスタート(笑)
教室、大爆発
・笑いが止まらない
・ツッコミが飛び交う
・収拾がつかない
そして気づいたら――
👉 教室は大爆笑の渦
あの瞬間、
👉 「日本で一番面白い授業だった」
と本気で思っています(笑)
冷静に考えると、とんでもない状況です。
👉 生徒が授業を乗っ取っている
しかも――
👉 怖い体育教師の目の前で
普通なら即終了なのに、
なぜか成立してしまっているこの空気。
謎の評価
ちなみに後年、上司から言われた一言。
👉 「大阪に生まれていれば早野はモテた」
……いや、
👉 父よ母よ、なぜ大阪に住まなかった(笑)
と思ったのでした。
脱線しました。
場面は大爆笑の保健の授業。

ふと先生の方を見ると――
👉 先生も笑っている。
「なんだ、ウケてるじゃん」と。
むしろ内心、
👉 「先生、嫉妬してたりしないかな?」
なんてことまで思っていました(笑)
どうやら杞憂だったようです。
そして授業が終わり、
👉 「いや〜今日の授業は大成功だったな」
そんな満足感に浸っていた、その瞬間。
👉 背負い投げ
されました(笑)
さすがは体育の先生。
👉 キレのある一本
で、私はあっさり宙を舞い、
綺麗に吹っ飛びました。
え、さっき笑ってましたよね?
・さっきまで笑ってたのに
・あの空気は何だったのか
・止めるタイミング、絶対あったよね?
頭の中はこんな感じです。
ここで私は学びました。
👉 「人は笑っていても、怒っていることがある」
そしてもう一つ。
👉 「調子に乗ると、だいたい落とされる」
ここで教訓を得ました。
私はその後にも人の言うことを真に受けて失敗したことがあるのですが、
真に受けると痛い目に合うことがあります。
たとえば、社長に「今夜は無礼講じゃ」と言われて、
普通に無礼を働いたりとかw
こんな感じです。
ネットザマリオネットさんのマンガより。
でした。
高校時代のしくじり|理由なき“行きたくない”
そんなこんなで――
👉 マイペースでちょっとズレている私。
高校に進学すると、どうなったか。
👉 学校を休むようになります。
最初はたまに。
それが徐々に増えていき、
👉 気づけば「行かない日」が普通に。
でも、不思議なことに――
👉 明確な理由はなかったんです。
・なんとなく行きたくない
・だるい
・面倒くさい
ただそれだけ。
今振り返ると、
👉 「ああ、こういうことだったのか」
と、言語化できます。
でも当時は――
👉 言葉にできないモヤモヤ
の中にいました。
今だからこそ分かることですが、
おそらく心の中では、
👉 「なぜ勉強するのか分からない」
👉 「どう生きていけばいいのか分からない」
そんな問いがあったのかなと。
ただ当時の私は、
👉 それに気づくことすらできない状態
でした。
だから結局――
👉 なんとなく避ける
👉 なんとなくサボる
👉 なんとなく離れていく
結果どうなるか
👉 自堕落な日々のスタート
です。
・時間はある
・でもやることがない
・気づけば何もしていない
そんな毎日でした。
このあたりの葛藤とその言語化は別記事で詳しくまとめています👇
👉 「なぜ勉強しなければならないのか?」
さて当時は――
👉 スマホもYouTubeもAmazonもない時代。
今の感覚でいうと、
👉 「暇の逃げ場がない」
そんな環境でした。
さて当時ですが学校に行かないと、
👉 やることが本当にない。
・漫画 → 読み終わったら終了
・アニメ → 見終わったら終了
次に何か楽しもうと思うと――
👉 レンタルビデオ屋に行くしかない
しかも、
・自転車で20分
・お金もかかる
なかなかハードルが高い(笑)

平成はレンタルビデオ屋がたくさんあった
ゲームも、
👉 クリアしたらすぐ終わり。
今のように
・オンライン対戦
・無限に遊べるコンテンツ
はありません。
当時はなんせ
👉 パソコンのメール1通送るのに1分かかる時代(笑)
行き着く先は…
じゃあどうなるか。
👉 ゲーセンに行くしかない。
これが当時の“居場所”でした。
そしてここで起きること。
👉 なんとなく人とつるむ
・自分は不良じゃない
・でも周りにそういう人がいる
・気づいたら一緒にいる
👉 知らない間に引きずられる
そんな感じでした。
これ、今でいうと――
👉 オンラインゲームやスマホに近い
・なんとなく始める
・気づいたら時間が溶ける
・抜けにくくなる
むしろ今は、
👉 自分から入りにいってしまう
という違いはあるかもしれません。
昔は――
👉 不良が多かった時代
今は――
👉 不登校が増えている時代
この違いはありますが、
本質的には、
👉 「環境に引っ張られる」
という構造は似ているのかなと感じています。
※ちなみに当時は「ひきこもり」は今ほど多くありませんでした
なつかしの時代背景
ちなみにこの頃は――
・GLAY が大人気
・安室奈美恵 が社会現象レベル
・「たまごっち」が大ヒット
・ポケモンが流行り始める
そして、
👉 携帯電話が普及し始めた時期
でした。

音楽を聞くのもCDやMDだった気が
バイト開始 → そして現実
さて、ゲーセンもマンガを買うにもお金がかかります。
となると――
👉 働くしかない。
というわけで、バイトを始めました。
今でいうと、
👉 通信高校の子がバイトを始める感覚に近い
かもしれません。
・時間はある
・お金はない
・とりあえず働く
自然な流れ。
働いたのは――
👉 今は無き「ホットスパー」というコンビニ
時給はなんと、
👉 680円(埼玉の最低時給)
今の感覚だと、
👉 「え、それで働くの?」レベル(笑)
そして――
👉 わずか1ヶ月でクビ
になります。
👉 理由はレジのミスが多かった。
・お釣りを間違える
・打ち間違える
・確認が抜ける
今振り返ると、
👉 注意力の問題(ADHD的な傾向)
があったのかもしれません。
ただ当時は、
👉 そんな言葉も概念もない時代
なので、
・ただのミスが多い人
・仕事ができない人
として扱われるだけでした。
ダメージは想像以上
正直、これはかなり効きました。
👉 大ショック
・働いてもダメ
・やってもミスる
・何をやっても上手くいかない
気づけば――
👉 さらに何をやっても面白くない状態に
その結果どうなるか。
👉 さらに学校に行かなくなる

私をクビにした今はなきホットスパー、海外ではスパーとして世界最大の食品小売りチェーンとして健在だそう
そんなこんなで――
👉 留年が決まり、私は高校を中退しました。
特別な事件があったわけではありません。
ただ、
・なんとなく行かなくなり
・なんとなく流され
・なんとなく続かなくなった
その積み重ねの結果です。
振り返って思うこと
今だからこそ、はっきり言えることがあります。
それは――
👉 「人に相談すればよかった」
ということ。
当時の私は、
👉 自分が何を考えているのか分からなかった
そしてさらに厄介なのが、
👉 「分からない」ということにすら気づいていなかった
本当は、
👉 外から言語化してもらうこと
👉 誰かと一緒に整理すること
が必要でした。
👉 自分のことは、自分でもよく分からない。
👉 だからこそ、人に相談するべきだった。
そしてもう一つ。
👉「環境の影響」です。
人はよく、
👉 「自分で決めている」
と思いがちですが、
実際には――
👉 かなり環境に左右されています。
当時の自分でいうと
・ゲーセンに行く
・その場の人とつるむ
・なんとなくその流れに乗る
👉 気づけば“選ばされている”状態
でした。
これ、今でいうと――
👉 スマホやオンラインゲーム
に近いかもしれません。
・なんとなく開く
・なんとなく続ける
・気づけば時間が消える
👉 そして抜けにくくなる
もちろん、
👉 「人のせいにするな」
と言われるかもしれません。
それも一理あります。
ただ同時に――
👉 「環境の力は想像以上に強い」
👉「そして自分の意志は想像以上に弱い」
これもまた事実だと思っています。
👉 人に引きずられすぎない。
👉 それは本当に自分がやりたいことなのか?を考える。
早野が学校に行くやる気を失った理由(深掘り①)
以前、私はこう書きました。
👉 「思春期の頃、どう生きていけばいいか分からなかった」
と。
当時はうまく言葉にできませんでしたが、
今振り返ると――
👉 “無意識レベルで生きる意味を見失っていた”
そんな感覚があったのだと思います。
理由のひとつ|尊敬する人の死
その理由の一つが、
👉 尊敬していた祖父や親戚のおじさんの死
でした。
「努力は正しい」と教わる世界
家庭でも学校でも、私たちはこう教わります。
👉 「努力することは正しい」
・真面目に生きなさい
・勉強しなさい
・ちゃんと働きなさい
これは多くの家庭で言われることですよね。
親戚のおじさんは、
👉 まさに“模範的な人”でした。
・苦学して国立大学医学部へ
・勤勉に働く
・ギャンブルもしない
・真面目で優しい
いわゆる、
👉 「ちゃんとした大人」
だったと思います。
しかし…
そんなおじさんが、
👉 40代前半で亡くなってしまった。
しかも医者‼
もちろん当時の私は、
👉 「だから学校に行きたくない」
などとハッキリ考えていたわけではありません。
聞かれたら「関係ない」と答えたでしょう。
でも無意識では、
👉 「真面目に頑張っても意味ないのでは?」
👉 「努力しても報われないのでは?」
そんな感覚があったのかもしれません。
会社でも似たことがありますよね
たとえば会社でも、
👉 真面目に頑張っていたベテラン社員がリストラされる
そんな場面を見ると、
若手社員が、
👉 「頑張っても意味ないじゃん…」
と、やる気を失うことがあります。
あれに近い感覚だったのかなと。
ただ、ここで興味深いことがあります。
👉 親戚のおじさんの子どもたちは普通に学校へ行っていた。
ちゃんと勉強もしていた。
同じ出来事でも反応が人によって違う。
これは不登校支援をしていても感じます。
たとえば――
👉 「いじめられている子を見た」
それだけで学校に行けなくなる子もいます。
一方で、
👉 「いじめられてる本人でも特に気にしない子」
もいる。
つまり、
👉 同じ出来事でも受け取り方は人によって全然違う
ということ。
特に、
👉 感受性が強い子
👉 意味を深く考える子
👉 空気や矛盾を敏感に感じる子
ほど、影響を受けやすいのかもしれません。
今振り返ると、
私は昔から、
👉 「生きる意味」や「矛盾」に敏感すぎた
のかもしれません。
そしてそれを、
👉 自分でも理解できていなかった。
だから、
「なんとなく学校に行きたくない」
という形で表面化したのかなと感じています。
今の私は「努力教」をバージョンアップ中
ちなみに現在の私はというと――
👉 努力教そのものは健在です(笑)
やはり、
・積み重ねること
・努力すること
・継続すること
これらは大事だと思っています。
でも昔と違うのは、
👉 「努力だけ」ではなくなったこと。
昔の私は、
👉 「頑張れ」
👉 「努力しろ」
👉 「気合いで何とかしろ」
そんな価値観にかなり偏っていました。
素直な性格なので
24時間戦えますか?というCMを見て
24時間戦うべしと思っていました(笑)

なつかしの電話機
今はここが加わった
今はそこに、
👉 「自分を大事にする」
という感覚も加わっています。
・無理しすぎない
・自分の特性を理解する
・環境の影響を考える
・休むことも必要
そういった視点ですね。
なので、
👉 努力を否定したわけではありません。
むしろ逆で、
👉 “長く続けるための努力”に変わった
そんな感覚があります。
(例)努力or無努力ではなく現実的な努力にする
不登校期間の意味
だから今振り返ると――
👉 あの不登校期間は「停止」ではなく、
バージョンアップ期間だったのかもしれない
と思っています。
もちろん当時は苦しかったですし、
👉 「なんで自分だけ…」
とも思っていました。
でも結果的には、
👉 昔の価値観を一度壊して、作り直す時間
になっていたのかなと。
もし人生がずっと順調だったら、
👉 「努力だけが正義」
という考えのままだったかもしれません。
でも一度止まったからこそ、
👉 「人はそんなに単純じゃない」
ということを学べた気がしています。
昭和の時代状況と理解し合えない価値観の違い
余談ですが
私の親世代の努力は令和では信じられないレベルです。
(現在70代、80代)
まず朝に農作業をしてから学校に行く。
帰ってきたら出荷作業を手伝う。
お風呂に入る時は
井戸から水をくみ、
薪割りをして
温めるためにフーフーしてお風呂に入り、
受験勉強w
私の父などは杉の葉がよく燃えたと
なつかしそうに言っていました。

昭和24年撮影:風呂焚きの様子: 明治安田生命グループのサイトより
そういう時代なので
2日に1回お風呂に入るくらいの家が多かったと。
そりゃそうなりますよねw
昭和30年代、40年代の話です。
そのあたりの親世代の価値観と
平成の価値観とのせめぎ合いでフリーズしていた面もあった気がします。

平成はプリクラが流行った。気まぐれブログさんの記事より。
昭和と平成ですさまじい違いですよねw
適応していくのはなかなか大変な面もある気がしますね。
平成の時はがんばるのはダサい的とか
勉強するのはダサい的な風潮もある気もしました。
「チョベリグ」「おっはー」みたいなw
令和も平成からするとかなり変化しています。
今の若い子も戸惑う面もいろいろあるのかなと。
僕自身や今まで見てきた子を振り返ると
いろいろな小さな違和感、
それが積み重なり不登校になるのかなと。
疲労骨折みたいな。
早野が学校に行くやる気を失った理由(深掘り②)|サッカーの挫折
もう一つ、大きかったのが――
👉 サッカーの挫折
です。
小学校から続けていたサッカー
私は小学校からサッカーをしていました。
当時の少年団って、
今よりかなり“親の負担”が大きかったんですよね。
・お茶くみ当番
・送迎
・応援
・保護者同士の空気感
などなど。
そして私は試合にあまり出られない。
すると――
👉 母が肩身狭そうに見えた。
今思うと気のせいかもしれません。
でも子どもって、
👉 親の空気を敏感に感じる
んですよね。
しかも周りには、
かなり気が強いお母さま方も多かった(笑)
その中でうちの母は、
比較的おっとりしていたのかなと。
そんなある日。
コーチにこう言われます。
👉 「君は良い身体をしているね」
完全に『SLAM DUNK』の序盤みたいですね(笑)

バスケを始めたきっかけは赤木晴子に身長をほめられたからだった
まー「このおっさん何言ってんだ」と思いましたが、
無意識下では「よし、がんばろう」
となったのかもしれません。
ほめると動くというのはよくある話。
(表面的には喜んでいるように見えなかったりもしますが)
続けていくうちに、
👉 サッカーそのものが好きになっていった。
これは大きかったですね。
深夜にも国際試合を見たり、
ワールドカップなども見るようになっていました。
中学での葛藤と適応
ところが中学に入ると、
👉 真面目にやらない子が急増。
これは当時の田舎の時代感もあった気がします。
私はというと、
👉 サッカーを真面目にやりたかった。
なので一部の子たちと、
👉 朝6時くらいから朝練
をしていました。
今思うと、
👉 かなり頑張っていたと思います。
ただ、ここで苦しくなってくる。
なぜなら――
👉 上手い子ほどサボる。
ちなみに当時は、
田舎だったからか、
👉 「勉強を頑張るのはダサい」
みたいな空気もありました。
なので私は、
👉 あまり勉強しなかった。
※中3の夏までは(笑)

中学時代は県のセンバツチームにも選ばれるようにも
荒れた学校だと運動部で勉強もできる子は、
案の定いじめられていました。
私はこの辺り、
👉 なんとか空気を読んで成績を調整していた
のですが、
今思うと――
👉 その「適応」自体がストレスだった
のかもしれません。
もちろん、
👉 「勉強したくない気持ち」
も多少あったと思います(笑)
ただ少なくとも、
👉 サッカーは真面目にやりたかった。
でも、
・先輩がサボる
・空気が悪い
・頑張ると浮く
なかなか難しかった。
ちなみに真面目派の先輩キャプテンは
不登校になりました。
(当時は今よりも珍しい)
その話はこちらにて。
サッカー部のキャプテンが不登校になった話
高校での挫折
そんなこんなで、
中学時代はずっと葛藤を抱えていました。
※当時は「葛藤している」という自覚すらありませんでしたが
そして高校へ進学。
高校ではクラブチームに所属します。
するとそこにいたのが――
👉 超強豪校で挫折した先輩たち。
たとえば、
帝京高等学校 や
船橋市立船橋高等学校
などの強豪校ですね。
彼らは、
・スポーツ推薦組
・高2〜高3
・フィジカルも完成している
・技術も高い
一方の私は――
👉 高校受験で半年ほぼ運動していない。
差は歴然でした。
さらに彼らは、
👉 かなりやさぐれていたw
でも今なら、
その気持ちがよく分かります。
本気でやって、
夢が破れた人たちだったので。
そして意外だったのが、
👉 上下関係の厳しさ。
正直、
👉 「め、面倒くさい…」
と思っていました(笑)
今振り返ると、
👉 「頑張っても仕方ないかな」
そう思い始めていた気がします。
(無意識下で)
学校に行こうとするとゲームをしてしまう当時の自分に聞けば、
👉 「サッカーは関係ない」
と言ったと思います。
でも無意識では、
👉 「努力しても報われない」
👉 「こうなりたいわけじゃない」
そんな感覚があったのかなと。
やがて私は、
👉 クラブチームに行かなくなります。
そしてその後、
👉 学校にも行かなくなる。
挫折から得た教訓
ただ――
この経験は後に大きく活きます。
私はここで、
👉 「ただ頑張るだけではダメ」
ということを学びました。
・どこで戦うか
・どう努力するか
・何に力を使うか
それによって結果はかなり変わる。
この“戦略的に頑張る”感覚は、
後の大学受験で非常に活きることになります。
勉強法に昇華された。
なので今振り返ると――
👉 この時期は「挫折」ではなくアップデート期間だった
のかもしれません。
かなり長かったですが(笑)
心理学に出会う
さらに当時の私は、
👉 「自分はダメだ」
と思い込んでいました。
(無意識下で。見た目は明るかったはず)
でも実際には、
👉 かなり不公平な比較をしていた。
高3の先輩とブランクのある高1の自分という比較を。
心理学ではこれを、
👉 「認知」
と言ったりします。
人は思い込みや比較の仕方によって、
現実の見え方が変わる。
後に心理学を学ぶことで、
私は以前よりも、
👉 現実的に行動できるようになっていきます。
この話はまた後ほど。
復活の経緯|「良いお手本」が人生を変えた
ここまで振り返ると――
私の10代は、
👉 「お手本に失望し続けた時代」
だったのかもしれません。
もちろん当時は、
そんなふうに意識していませんでした。
ですが今振り返ると、
無意識ではかなり影響を受けていた気がします。
たとえば――
・40代で亡くなった尊敬する医者である親戚のおじさん
・上手いのに真面目にやらないサッカー部員たち
・サッカー部のエースだったのに不登校になったキャプテン
・夢破れ、やさぐれていたクラブチームの先輩たち
・言っていることとやっていることが違う先生
・生徒をコントロールできない先生たち
・尊敬していたのに女子高に忍び込んで逮捕された塾の先生(笑)
・「なんのために勉強するのか」が見えない進学校の空気
・不祥事ばかり流れるテレビのニュース
などなど。
こういうものを見続けていると、
👉 現実にじわじわ失望していく。
そして――
👉 なぜかやる気が出ない。
そんな状態になっていた気がします。
※もちろん当時は無意識でしたが
時代は世紀末へ
そんな中、
時代は2000年目前。
👉 「世紀末」
👉 「ノストラダムス」
👉 「2000年問題」
などが話題になっていた頃です(笑)
だんご三兄弟などがヒットして
さらにわけわからんなとw
神奈川県警の不祥事なども世も末だと。

iモードが普及しだした頃。ドコモ公式サイトより
そこで現れた“良いお手本”
そんなある日。
母があるパンフレットを見せてくれました。
それは――
👉 大検予備校のインタビュー記事
でした。
※今でいう「高卒認定」ですが、当時は「大検」と呼ばれていました
そこには、
👉 近所の〇〇さんの体験談
が載っていました。
内容は――
👉 「いじめで高校を中退したが、慶應大学に合格した」
というもの。
※東京理科大学だったかもしれません。記憶が曖昧です(笑)
その記事を見ても、
私はそっけない態度だったそうです。
が、しばらくして
私は思いました。
👉 「俺も大検でも受けるか」
と。
なぜなら当時の私は、
👉 何をやってもうまくいっていなかったから。
当時はスーパーファミコンからプレイステーションに入った時代。
弟とゲームをしていたのですが――
👉 勝てない(笑)
しかも、
👉 自分の方がゲーム時間は長いはずなのに勝てない(笑)
弟は制服姿で私はパジャマでしたw
・学校もうまくいかない
・バイトもダメ
・サッカーも挫折
・ゲームでも勝てない
👉 「何やってもうまくいかない」
そんな状態でした。
ちなみにゲーセンにいた人たちは
土方になったり、
美容師になったりしていました。
そして彼らに説教されたりもしていましたw
「早野も真面目になれよ」と(笑)
そう言われてもやることが無いw
そんな時にもらったパンフレット。
これは私にとって、
👉 「良いお手本」
だったんです。
ちなみに――
👉 大検予備校には結局行きませんでした(笑)
でも、
👉 「未来のイメージ」が生まれた。
これは非常に大きかった。
人は“お手本”に無意識に引っ張られる
今、不登校支援をしていても感じます。
👉 悪いお手本は、無意識にやる気を奪う。
逆に、
👉 良いお手本は、無意識にやる気を高める。
それは、
・リアルな人でもいい
・本でもいい
・漫画でもいい
・YouTubeでもいい
とにかく、
👉 「希望を感じる存在」
を見つけること。
それが人生を変えるきっかけになることがあります。
というわけで――
👉 ありがとう、近所の〇〇さん。
〇〇さんの名前を出すわけにはいきませんが、
あのパンフレットは良いきっかけになりました。
ちなみにオンラインゲームしていると
ゲーム仲間から
「お前も真面目になれよ」
とか言われる子がいますよね。
当時に私に説教してくれたゲーセン仲間は
そんな感じだったのかもしれませんね。
対人恐怖症になる|勉強法のデメリット
さて、そんな感じで――
👉 戦略性を身につけた私は、勉強法を工夫し、
早稲田大学 に進学することになります。
大学合格編をくわしく書けと言われそうですが…
ただ、受験時代だけで1万字くらいになりそうなので今回は省略。
実際には受験時代も、
・勉強法の試行錯誤
・メンタル面
・戦略ミス
・環境問題
など、かなりいろいろありました。
そのあたりは別の記事でも書いているので、
今回は“大学入学後”の話を。

大学には全国や海外からいろいろな人が来ていた
しくじり① 燃え尽きていた
まず1つ目。
👉 燃え尽きていた。
これです。
私は、
👉 「大学に入ること」
にエネルギーを全振りしていました。
なので入学した時点で、
👉 ガソリン切れ(笑)
今なら思います。
👉 「入学後のエネルギーも残しておけ」
と(笑)
後先のことを考えておくべきですね。
現在では教え子に余力を残しておくように言っています。
受験生は多少さぼっているくらいに見えるのがちょうど良いと。
また、受験は孤独だったりします。
レールに戻ったとしても。
そこでオンライン自習サークルというのをやっています。
私と同じ失敗をしていただかないように。
しくじり② 調子に乗った
そしてもう1つ。
👉 いつの間にか調子に乗ってた。
自覚なしで。
これが厄介でした。
表面上は謙虚なつもりなんです。
自分では、
👉 「いやいや、自分なんて…」
と思っている。
でも内心では、
👉 世の中をちょっとナメ始めていた。
『ドラえもん』で、
野比のび太 は道具を手にすると調子に乗って失敗しますよね。

子どもの頃は、
👉 「のび太くんバカだな〜」
と思っていました。
でも――
👉 私が同じことをしていた(笑)
私は、
👉 「勉強法」
という道具を手に入れてしまった。
そして、
👉 「戦略性」
という武器も身につけた。
その威力が強すぎたんです。
その結果どうなったか。
👉 周りが何も考えていない人に見えてしまった。
昔、某少年YouTuberが、
👉 「人がロボットみたい」
と言って炎上していましたよね(笑)
内心、私はあんな感じでした。
👉 精神年齢は小学生(笑)
さらに厄介なのが、
👉 「自分だけでがんばった」と思い始めたこと。
冷静に考えると、
👉 大学に行けたのは親のおかげ
でもありました。
しかし当時の私は、
👉 「親の育て方が悪かった」
とか思っていた(笑)
先生たちも、
実はかなり心配してくれていたそうです。
でも当時の私は、
👉 「教育が悪い」
👉 「ふざけた教育しやがって」
みたいに思っていた(笑)
さらには、
👉 文科省のおかげで大検を受けられた
わけです。
でも内心は、
👉 「大検制度は天下りの温床だ!」
とか思っていた(笑)
「天につばを吐く」
ということわざがありますよね。
私は昔、
👉 「そんな人いるわけないじゃん」
と思っていました。
でも――
👉 まさか自分だった(笑)

つまり当時の私は、
👉 燃え尽きてエネルギーがない
のに、
👉 なぜか内心は傲慢
という最悪の状態でした(笑)
だから何をやってもうまくいかない
塾講師のバイトをしても、
👉 「非効率だな」
と批判的に見てしまう。
しかも、
👉 自分は大したことをしていない(笑)
やる気もない。
当然うまくいきません。
別にうまくいかなくても良かったのですが。
サークルでも、
👉 「なんで今さら遊ばなきゃいけないんだ」
と斜に構える。
「もう遊んだからいいかな」
みたいな感覚。
謎の上から目線。
何しても面白くない。
※もちろん内心ですよ(笑)
大学の勉強に対しても、
👉 「くだらない」
と思ってしまっていました。
教授の話も、
👉 「面白くない」
と感じる。
※まあ学者さんなので(笑)
そんな感じで、
👉 何をしてもうまくいかない
状態が続いていきます。
そしてある時、
👉 対人恐怖症になっていました。
ここ重要なのですが、
👉 特別な事件があったわけではない。
ただ、
👉 低空飛行をずっと続けていた。
その結果、
👉 気づいたら壊れていた。
そんな感じです。
対人恐怖症になると、
👉 身体が勝手に反応する。
・別に緊張する場面じゃない
・なのに汗が出る
・手が震える気がする
そして、
👉 「震えないようにしよう」
と思うほど、
👉 さらに不自然になる(笑)
・女子の目が冷たい気がする
・店員が怖い気がする
・周りに変に見られている気がする
もちろん実際は違うことも多いのですが、
👉 本人にはリアル。
しまいには、
👉 コンビニでジュースを買うだけでも違和感
を感じるようになります。
電車にのると息苦しくなります。
閉所恐怖症的に。
そんなわけで私は、
👉 あまり外に出ない生活
になっていくのでした。
このままでは
フリーターにすらなれなそう。
人生終わった。
これはまずい。
時代は2000年代の初頭。
浜崎あゆみ、宇多田ひかる、ELTなどが流行っていました。
ポルノグラフィティのアゲハ蝶もこの頃。
歌詞のような状態になってしまっていました。
もしこれが戯曲なら
なんてひどいストーリーだろう進むことも戻ることもできずに
ただ一人舞台に立っているだけなのだから荒野に咲いたアゲハ蝶
揺らぐその景色のむこう
近づくことはできないオアシス
冷たい水をください
ポルノグラフィティ「アゲハ蝶」
ちなみに2025年のドラマ「よいことわるいこと」の主題歌がアゲハ蝶。
不登校やフリースクールも話に出てくるのですが、
なぜアゲハ蝶が今さら主題歌なのか。
分かるような気もしました。
参考:ドラマ「良いこと悪いこと」にフリースクールが出てきたので不登校問題のリアルを考察してみた【ネタバレ注意】
対人恐怖症との苦闘と復活
さて――
👉 楽しい大学生活でめでたしめでたし。
……のはずでした。
しかし現実は、
👉 大ピンチ。
対人恐怖症で厄介なのは、
👉 「緊張しないようにするほど緊張する」
ということ。
たとえば、
👉 「汗をかかないようにしよう」
と思う。
すると――
👉 余計に汗が出る。
まー汗をかかないようにしようと思っている時点で
何事もうまくいくはずがありません。
しかも厄介なのが、
👉 家で休んでいても改善しない。
むしろ、
👉 どんどん人に会うのが怖くなる。
燃え尽きは
👉 休めばある程度回復する
でも対人恐怖症は、
👉 休みすぎると対人能力が落ちる。
だからさらに怖くなる。
なかなか厄介です。
人との話し方を忘れるってあるんですよね。
久しぶりの道具とかで
「あれどうするんでしたっけ?」てありますよね。
そんな感じです。
もちろん病院にも行きました。
ですが――
👉 薬をもらって終了。
という感じでした。
たしかに薬を飲むと、
👉 緊張は多少和らぐ。
でもその代わり、
👉 眠い(笑)
もともと私は、
👉 ミスが多いタイプ。
そこに眠気が加わる。
結果――
👉 さらにミスる(笑)
なので当時は本気で、
👉 「フリーターすら無理かもしれん…」
と思っていました。
勉強をしても、
👉 頭に入ってこない。
集中できない。
すると当然、
👉 「就職とか無理では?」
と思うようになります。
さらに、
👉 「いや、週2フリーターすら無理かも…」
となる。
正直、
👉 「一体オレがどんな悪いことをしたんだ…」
と思っていました。
当時は、
👉 真面目に消えること
を考えたこともありました。
ちょうどその少し前、
👉 アメリカ同時多発テロ事件
が起きた頃でした。
世の中全体が、
どこか不穏な空気だった気もします。
今だから笑って書けますが、
当時はかなり荒れていて、
👉 「オレもテロリストにでもなるか…」
みたいなことを考えたりもしました。
もちろん実際に何かしたわけではありませんが。
そんなある時。
尊敬していた祖父の姿が、
ふっと頭に浮かびました。
その時、祖父がこう言った気がしたんです。
👉 「同じように苦しんでいる人は多いだろうから助けてやれ」
と。
おそらく――
👉 幻覚でしょう(笑)
ただ、その瞬間。
私は、
👉 「もう少し頑張ってみるか」
と思えたんです。
そこで私は、
👉 「なんとかしよう」
と腹をくくりました。
幸運だったのは、
👉 時代が変わり始めていたこと。
当時はまだ情報が少ない時代でしたが、
・Amazon が広がり始め
・ネット通販が普及し
・情報商材なども出始める
👉 情報収集がかなり楽になった。
*後の時代と違いまだ健全な情報商材も多かった時代w
そこで私は、
👉 心理学の本や情報商材を読み始めました。

当時読んでいた本の1冊
そして
👉 自分で実験する。
・考え方を変える
・行動を変える
・少しずつ試す
そんなことを繰り返しました。
すると少しずつ、
👉 対人恐怖症
だけでなく、
👉 閉所恐怖症(電車に乗れない等)
も改善していったんです。
その過程で、
👉 いろいろとしくじりました(笑)
対人恐怖症で女を泣かせた話
さて――
対人恐怖症をなんとか改善しようと、
いろいろ試行錯誤していた時代の話です。
当時の私は考えました。
👉 「コミュ力がないから苦しいのでは?」
と。
今思うと単純ですが、
当時はかなり真剣。
そこで私は、
👉 コミュ力アップセミナー
に参加しました。
怪しいかも、、、
かなり勇気を出しました。
さてセミナーでは、
👉 男女でペアになって会話するワーク
が始まります。
もちろん私は、
👉 話せない(笑)
完全に固まる
・頭が真っ白
・何を話せばいいか分からない
・笑顔も不自然
結果――
👉 ただ固まっている人
になっていました(笑)
すると突然。
👉 20代くらいの女性が泣き出した。

私は完全に唖然。
👉 「え?何が起きた?」
という感じです。
まあ、前から固まってはいた
とはいえ冷静に考えると、
👉 私は最初からかなり挙動不審だったのかも(笑)
すると、
優しそうな講師の方が、
その女性に話を聞き始めました。
すると判明したのが――
👉 その女性、婚活目的で来ていた(笑)
一方の私は、
👉 「対人恐怖症を改善したい」
だけ。
彼女は、
👉 「良い出会いがあるかも」
と思っていた。
「お姉さん、来るとこ間違えてるよ」
と今でも思いますがw
当時の私は、
👉 「なんでオレが泣かれなきゃいけないんや…」
と若干憮然としていました(笑)
思えばカウンセリングでも
診察でも似たようなことは思いました。
聞かれても話せないw
話せねーから相談してるのだが、
質問に答えられないw
この矛盾よ‼
今だと通信制高校とかフリースクールのワークなどで
似たようなことは起きているようですね。
アーメン。お疲れ様です。
でも「ある程度は」仕方ない面もあるかなと。
失敗しながらリハビリしていくしかない。
何もしなければそれで時間が過ぎていくだけ。
(気力の回復がテーマなら家で休んでいると回復しますが)
そういえば大学時代、
女の子にこんなことを陰で言われた記憶があります。
👉 「早野くん、イケメンなのにもったいない」
……。
今思うと、
👉 いろいろ損失を出していましたね(笑)
まー他にもいろいろと失敗したのですが、
より本質的な改善をするようになりました。
そこで良かったことや得た教訓について。
本を読んで“組み合わせる”
当時の私は、
👉 心理学の本や情報教材を読んでいました。
そして、
👉 「これ良さそうだな」
と思ったものを、
自分で実験していました。
ただ読んでいて面白かったのが、
👉 心理学や支援の世界って、矛盾する主張が多い。
ということ。
たとえば…
・厳しさが大事
・とことん優しくするのが大事
どちらも言われています。
これはどっちが正しいのか?
結論から言うと――
👉 どちらも正しい。
でも同時に、
👉 どちらにもデメリットがある。
だから“組み合わせる”
つまり大事なのは、
👉 組み合わせること。
これは勉強法に似ています。
たとえば大学受験でも、
👉 1冊だけで全部解決
なんてことはあまりありません。
組み合わせないとダメです。
心理学や対人支援も、
👉 「この理論だけでOK」
はない。
状況に応じて、
👉 組み合わせる
必要がある。
そんな中で、
当時の私がまず重要だと思ったのが――
👉 自己肯定感
でした。
自己肯定感の定義はいろいろあります。
私にとっては、
👉 「いつも自分の味方でいること」
でした。
簡単に言うと
👉 自分を責めない。
たとえ…
・失敗しても
・勇気が出なくても
・思うように動けなくても
・また緊張してしまっても
👉 自分を責めない。
常に“弁護側”に立つ。
👉 自分に対して「検事」ではなく「弁護士」でいる。
昔の私は検事でした。
以前の私は、
👉 「なんでできないんだ」
👉 「もっと頑張れ」
👉 「甘えるな」
と、自分を責め続けていました。
完全に取り調べ状態(笑)
しかし対人恐怖症になって分かった。
👉 責めるほど、人は動けなくなる。
平井堅のノンフィクションにこんな歌詞があります。
かなり重い曲で、
自〇した友人への思いを歌ったとも言われています。
みすぼらしくていいから
欲まみれでもいいから正しくなくていいから
くだらなくてもいいから
当時の私は、
👉 「ちゃんとしていない自分はダメ」
と思っていました。
でもこの頃から、
👉 「いかにみじめでも、自分は自分の味方でいよう」
と思うようになった。
どんな状態でも見捨てないことは出来る。
・うまくいかなくても
・苦しくても
・情けなくても
・人と比べて劣って見えても
👉 自分だけは自分を見捨てない。
そのために私は、
👉 自分の“認知”を修正していきました。
当時の私は、
👉 「こうあるべき」
👉 「普通はこう」
👉 「頑張れない自分はダメ」
みたいな“常識”にかなり縛られていました。
ただ、この考え方。
下手をすると、
👉 「ただ自分に甘いだけ」
にもなります(笑)
*土台を作る段階と
その上に建物を建てる時はやることが違います。
(時には真逆の作業になることがあります)
当時の私には、
👉 まず土台が必要だった。
外の評価ではなく、
成功でも失敗でもなく、
👉 「自分は自分の味方でいる」
という感覚。
それが少しずつ、
👉 絶対に揺るがない土台
になっていったのでした。
土台さえきちんとしていれば、
最後に勝てばいい。
そんな感じでした。
認知行動療法や森田療法との出会い
そんな感じで心理学を読み進める中で、
私は――
👉 認知行動療法
👉 森田療法
などにも出会いました。
認知については、
前回書いた
👉 「自分を責めすぎない」
なども近いですね。
(他にもいろいろありますが)
今回は特に、
👉 行動療法や森田療法
について。
これらはかなり雑にまとめると、
👉 「怖いことも慣れれば少しずつ平気になる」
という考え方です。
たとえば新入社員が電話営業が怖いとしても、
慣れますよね?
それに近い。
膨大なマウスなどでの実験データがあります。
科学的。
……とはいえ。
👉 キツい(笑)
森田療法では、
ざっくり言うとこう考えます。
👉 「不安や緊張は無くならない」
もちろん、
認知を改善すれば減ることはあります。
でも、
👉 完全にゼロにはならない。
むしろゼロにしようとすればより苦しくなる。
そこで森田療法は言います。
👉 「あるがまま受け入れろ」
と。
これはきつい考え方です。
そして目的本位で動けと。
つまり、
👉 不安があっても
👉 緊張していても
それを抱えたまま、
👉 「目的に向かって行動するべし」
ということ。
いや、言うのは簡単なんですよ
でも実際は――
👉 キツい(笑)
なので私は、
👉 一気にはやらない
ようにしました。
・ちょっと外に出る
・少しだけ会話する
・短時間だけ参加する
そんな感じで、
👉 段階的に進める。
ムリはしない。
しかし、休まず前進する。
無理してがんばるか、
家でネットサーフィンの2択ではなく、
その真ん中を歩む。
当時はネットが流行りだした頃で、
ネットは楽しいですが、
ネトゲ廃人が続出しだした頃でしたw
ムリはしない。
しかし、必ず前進する。
そんな感じでゆっくりですが着実に前進していきました。
そう亀のように。

さらに私は、
👉 インナーチャイルド
👉 愛着理論
などの本も読むようになります。
そうする中で、
👉 親子関係の見直し
などもしました。
これは親が悪いというわけでは無く
誤解があったりしたということです。
念のため。
他にも影響を受けたものとして
夜と霧で有名なビクトールフランクル博士の
ロゴセラピーなどもありました。
とことん暗くなると
不思議とやる気が出てきたり。

そんな感じで私は、
👉 本を読む
👉 現実で試す
を繰り返していました。
・バイト
・インターンシップ
・人との会話
全部が実験でした。
すると少しずつ、
👉 普通に社会生活を送れるようになっていった。
もちろん、
👉 多少のしんどさ
は残っていました。
でも以前のように、
👉 「外に出られない」
レベルではなくなっていった。
そんなこんなで、
👉 就職活動も乗り越え、
私は無事に社会人になります。
留年はしましたが。
これは社会に出る前の実験期間と位置付けていました。
親御さんとしては怪しからんという方もいらっしゃるかもしれませんが、
着実に準備したわけです。
今振り返って思うこと
ここで強く思うのは――
👉 「本が読めて良かった」
ということ。
大学受験を通して、
私はかなり国語力が鍛えられていました。
だからこそ、
👉 様々な理論を比較できた。
・どれが自分に合うか
・何が危険か
・どこを取り入れるか
を考えることができた。
つまり、
👉 情報を鵜呑みにせず、組み合わせる力
ですね。
本を読めるのと
現実の中で使いこなせるのはまた別。
これはかなり大きかった。
極端な話。
もし働けなくなったとしても、
国語力があれば、
👉 生活保護
👉 補助金
👉 支援制度
などを、
👉 自分で調べて申請できます。
世の中って、
👉 「制度がある」のと
👉 「使える」のは別
なんですよね。
難しい文章を読めないと、
👉 支援制度に辿り着けない
ことも普通にあります。
これは受験だけではありません。
👉 人生のサバイバル能力
でもあると思っています。
土台があれば
生きてさえいれば
いかに最悪であろうとも
逆転の芽は残されているからです。
というわけで、
国語力アップコースというのを設けています。
国語力さえあればなんとかなる、
そんなことも多いからです。
社会に出てからのしくじり
さて――
そんなこんなで、
なんとか社会復帰した私は、
👉 コンサルティング会社
に就職しました。

今でこそ、
👉 「コンサル会社に行きたい!」
という大学生はかなり多いですよね。
ですが当時は、
👉 そこまでメジャーではなかった気がします。
コンサルの仕事とはざっくり言うと、
👉 「人様の会社の問題解決をお手伝いする仕事」
です。
これが――
👉 かなり難しい。
そして、
👉 かなり大変(笑)
入社してすぐ、
ある先輩がこう言いました。
👉 「オレは数々の修羅場を乗り越えてきた」
私はその時、
👉 「大げさだな〜」
と思っていました。
数ヶ月後。
👉 「修羅場って本当にあるんだ…」
と理解します(笑)
たとえば――
👉 若い店長がお店で暴れる。
なんと、
👉 ショーケース破壊(笑)
業務用のショーケースって、
👉 普通に高い。
なのに破壊される(笑)
さらに、
👉 店の壁に穴が開く。
👉 「とりあえずポスター貼っとくか(笑)」
私は内心、
👉 「中学生の反抗期かよ…」
と思っていました。
同時に、
👉 「自分がやったことって返ってくるのかな…」
とも思っていました。
若い頃の自分を見ているようでもありました。

さらに大変なのが、
👉 同族企業。
たとえば――
2代目候補: 「親父の言うことなんか聞いてらんねーよ!」
現社長: 「なんだと!出てけ!」
これ、不登校家庭でも見るやつですね。
でも実際、
👉 企業も結局は人間関係。
感情もあれば、
プライドもある。
さらに地獄なのが、
👉 先輩が夜中でも仕事モード。
たとえば出張先のビジネスホテル。
しかも先輩と相部屋。
夜中の2時。
先輩が突然こう言う。
👉 「早野くん、あの親子どうするつもりだ?」)
私は、
👉 「えっ?」状態。
夜中2時に経営問題を聞かれても、
👉 何も考えられない(笑)
今振り返ると、
👉 平成はかなりブラックでしたね(笑)
そして私は、
👉 怒る先輩を横目に、
👉 布団をかぶって寝たふり
をしたのでした(笑)
しかし、そんな日々を数年続けていると、
少しずつ――
👉 コツが分かってくる。
最初は全部カオスに見える。
でも、
👉 会社として成立している以上、
そこには何らかの
👉 仕組み
がある。
・人の動き
・仕事の流れ
・利益構造
・感情のパターン
・組織の流れ
そういうものが、
少しずつ見えてくる。
そうなると、
👉 自分の裁量で仕事ができるようになる。
気づけば私は、
👉 自分でプロジェクトを回し、
👉 商売を動かす
ようになっていました。
これは、
👉 対人恐怖症で引きこもり気味だった頃の自分
からすると、
👉 信じられない話。
私はその前は本気で、
👉 「フリーターすら無理かもしれん」
と思っていました。
それが数年後には、
👉 自分の部門で年商数億円
規模の仕事を動かすようになる。
しかも、
👉 ゼロから作った事業。
つまり、
👉 「考えたこと」
👉 「計画したこと」
が、
👉 現実になる。
もちろん全部ではありません。
でも、
👉 「現実は変えられる」
感覚を持つようになりました。
この時期に学んだのは、
👉 最初は訳が分からなくても、耐えていると見えてくる
ということ。
最初は誰でも分からない
・仕事
・人間関係
・社会
・経営
最初から分かる人なんて、
ほとんどいないのかもしれません。
でも続けてると見えてくる
苦しくても、
意味が分からなくても、
👉 少しずつ「構造」が見えてくるのです。
閑話休題:当時はリーマンショックや東日本大震災がありましたね。
社会に出てこんなに荒波があるのかと驚いたのを覚えています。
同時にアイフォンやフェイスブックが出だした頃ですかね。
かなり現代に近づいてきましたが、
当時は会社のテレビ会議をつなぐのに四苦八苦していた記憶があります。

初期のスマホは壊れやすかった記憶が
不登校支援で独立
世の中には、
👉 独立する人が多い会社
があります。
私がいた会社も、
まさにそんな感じでした。
そもそも私も、
👉 「終身雇用」
という発想は、
ほぼありませんでした。
そんなわけで、
👉 独立。
しました。

独立したてのアラサーの頃
なぜ不登校支援だったのか?
会社員として働きながら、
👉 社長さんの家庭問題
👉 知人の子育て相談
などを、
こっそり聞く機会が増えていきました。
すると意外にも、
👉 私の経歴や学んできた内容
がかなり喜ばれたんです。
ビギナーズラックと言うのでしょうか。
次々とうまくいったのです。
今でこそ「高卒認定」は多少は知られていますが、
当時は、
👉 「大検って何?」
という人もかなり多かった。
さらに当時は、
👉 「不登校になったら終わり」
と思っている方も多かった。
今でも苦しんでいる人は多いですが、
昔はより「終わった雰囲気」が強かった。
私は、
👉 元・不登校気味
👉 元・大検組
👉 元・対人恐怖症
👉 元・しくじり人間(笑)
だったので、
👉 「リアルな話」
ができた。
そんなわけで、
👉 不登校支援で独立
したのですが――
もちろん、
👉 数々のしくじり
を経験します(笑)
事件① ベランダ閉じ込め事件
これは、
あるご家庭に訪問した時の話。
小学生のお子さんが突然、
👉 ベランダへ出た。
そしてこう言いました。
👉 「見て!富士山がきれいだよ!」
そこで私とお母さんも、
一緒にベランダへ。
冬だったので、
👉 遠くに富士山がかなり綺麗に見えました。
しかし次の瞬間
👉 ガチャン。
なんと――
👉 ベランダのドアが閉まった。
しかも場所は、
👉 マンション15階。
寒い。
かなり寒い。
私はしばらくして内心、
👉 「これ、ガラス割るしかないか…?」
と思っていました。
そしてしばらくして――
👉 ようやくドアが開く。
本当に、
👉 「いや〜災難だった…」
という感じでした(笑)

都心の高層ビルから見た富士山
事件② 生徒、寝る
またある時。
ある子に勉強を教えていた時のこと。
突然…
👉 目の前で寝始めた(笑)
これにはさすがに驚きました。
👉 「リラックスしすぎだろ(笑)」
と。
事件③ 英語がネイティブ問題
また別の日。
イギリス人のお父さんと、
日本人のお母さんの家庭を訪問した時のこと。
👉 カウンセリングが英語。
でも何となく分かる。
思春期家庭あるあるなので、
👉 言いたいことは大体分かる(笑)

国際結婚が増えて不登校もグローバル化中
とはいえ問題が発生
そして、
その子に勉強を教えていた時。
なんと、
👉 「英語を教えてほしい」
と言われる。
その子、
👉 ネイティブなんです(笑)
でも学校英語で単位を取るためには勉強が必要だったw
「なんで私がネイティブに英語教えてるんだ…」
と思いながら教えていると――
イギリス人のお父さんが一言。
👉 「そんな表現しないよ」
「ジャパニーズイングリッシュ、はっはっはっ」
私は内心、
👉 「いや、教科書が悪いんです(笑)」
と思っていました。
思えば私は、
👉 微妙な立場
をかなり経験してきました。
北は 北海道 から、
南は 沖縄県 まで。
いろいろな家庭を訪問しました。
本当に色々あった
・家庭ごとの空気
・親子関係
・文化の違い
・価値観の違い
本当に、
👉 いろいろな経験をさせていただいた
と思います。
そんな日々を続けるうちに、
👉 かなりコツが分かってくる。
しかし…
ただ――
ここで人間は危険なんです。
👉 「分かった。もう学ぶことは無い」
と思った時に、
しくじりが訪れる。
心理学ではなく「心理道」、受験術ではなく「受験道」
さて――
不登校支援もかなりうまくいくようになってきました。
・学校へ行けるようになる子
・外の居場所へ行けるようになる子
・それなりの大学へ合格する子
などが増えていました。
そんなある時。
👉 急にうまくいかなくなる。
今振り返ると、
👉 知らない間に傲慢になっていた
のだと思います。
もちろん、
私にそんなつもりは全くありません(笑)
不登校支援は
数学の問題を解いたり、
工場で機械を動かすのとは違います。
👉 人には感情がある。
さらに、
・育った環境
・性格
・価値観
・好み
・タイミング
全部違う。
しかし私はそれをどこかで忘れて、
👉 「これが正しい」
という感覚になっていました。
・これが効率が良い
・これがあなたのためだ
・これをやるべきだ
そんな感じですね。
(良かれと思ってなんですが)
そうなると――
👉 “正しさを押し付ける人”
になってしまう。
・性格の悪いホテルマン
・正論ばかり言う学校の先生
みたいな感じでしょうか。
👉 私は「良かれと思っている」
なぜなら、
👉 そのやり方で実際にうまくいっていた
からです。
つまり私はまた、
👉 「のび太状態」
になっていたんですよね(笑)

以前は勉強法。
今度は心理学や支援技術。
👉 道具は強力。
だからこそ、
👉 人を傲慢にする。
そんな時、
私はベテラン支援者の先生に相談しました。
👉 「なんか最近うまくいかないんです」
と。
するとその先生はこう言いました。
👉 大学の心理学の先生や
👉 ベテランのスクールカウンセラー
なども、
👉 実は同じことを経験している。
と。
なんと、みんなが“のび太経験者”
つまり、
👉 無意識に天狗になる。
これは支援者あるあるらしいのです(笑)
さらに面白かったのが、
👉 「最近調子に乗ってるな」
と思ったら、
👉 ご飯を抜いたりする
先生もいるそうです。
その時教わったのが、
👉 日本古来の「道」
という考え方でした。
たとえば――
・書道
・茶道
・剣道
など。

これらは単なる技術ではありません。
👉 礼儀
👉 感謝
👉 利他性
などを非常に大事にします。
たとえば柔道選手や空手の選手って、
練習後に――
👉 無人の道場に向かって礼
をしたりしますよね。
昔の私は、
👉 「意味ないじゃん」
と思っていました(笑)
でも今なら分かる。
👉 深い知恵があると。
柔道や空手って、
👉 調子に乗ると大怪我する。

思い返すと…
実際、
私の生徒でも、
👉 一流大学に合格
👉 特待生になる
ような子が毎年いました。
普通の物語なら、
👉 「めでたしめでたし」
です。
でも現実では、
👉 その後にまた挫折する子
もいました。
今思うと彼らには、
👉 どこかに「おごり」があった
もちろん彼らに悪気はない。
でも、
👉 「自分が頑張ったから成功した」
だけになると危ない。
私は今、
👉 子どもでも
👉 大学生でも
👉 大人でも
感謝や利他性は大事だと思っています。
👉 でないと痛い目にあうから(笑)
別に、
👉 「感謝しろ!」
という精神論を言いたいわけではありません。
単純に、
👉 傲慢になると人間関係が壊れる。
👉 世界が狭くなる。
👉 孤立する。
つまり、
👉 かつての私みたいになる(笑)
不登校や受験勉強って、
本人からするとかなり苦しい。
それは本当にそう。
でも同時に
・勉強できた
・休めた
・生活できた
のは、
👉 親や周囲のおかげ
でもある。
もちろん多くの親は、
👉 「感謝しろ!」
とは思っていないでしょう。
ただ、
👉 世間はそう甘くない。
本人が後で、
👉 痛い目を見る。
たしかに不登校から復活というのは
大変な道のりを歩んできたのだとは思います。
とはいえ、その上で心を大事にしないと
痛い目に合う。
私はより効率よく歩んでもらいたい。
また、効率と言ってしまいましたがw
そういう意味で、
👉 勉強法ではなく「勉強道」
👉 受験術ではなく「受験道」
なのだと思っています。
同じように、
👉 心理学ではなく「心理道」
なのかなと。
そしてそれを忘れないために、
👉 「しくじり早野先生」
という名前にしました(笑)
これは、
👉 自分への戒め
なんですよね。
まとめ:しくじり教訓を最後にいくつかピックアップ
ここまで読んでいただきありがとうございました。
最後にしくじり教訓をまとめたいと思います。
10個ありましたが、
3つとりあげます。
①自分のことは、自分でもよく分からない。
だからこそ、人に相談するべきだった。
②国語力を鍛えておくとサバイバルスキルとなる。
どんな時でも立ち上がることができる。
③人への感謝の気持ちを忘れない。
うまくいった時こそ自分だけの力ではないことを覚えておく。
以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。



