1. はじめに:よく聞く「昔は不登校なんていなかった」は本当?
「今の子どもはすぐ学校を休む」
「昔はみんなちゃんと行っていたのに」
——そんな声を耳にしたことはありませんか?
不登校という現象は、
現代特有のものだと思われがちですが、本当にそうでしょうか?
今回は、「不登校は昔はいなかった」という言説の真偽を探りながら、
その背景にある社会の変化を紐解いていきます。
不登校を経験した子どもたちには、
ある“共通点”があると感じています。
それは、
将来に活かせる大きな可能性を秘めているということ。
私自身が元・不登校だったことに加え、
16年間多くの不登校の子どもたちを見守ってきた経験から、
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2. 実際に昔は不登校が少なかったのか?
「不登校」という言葉が使われ始めたのは1980年代以降といわれています。
それ以前は「登校拒否」や「学校嫌い」といった表現が使われており、
明確に統計が取られていなかった時代もあります。
文部科学省の調査によると、
1991年の段階で既に年間7万人以上の小中学生が不登校とされていました。
つまり、「不登校が突然現れた」のではなく、
可視化されていなかっただけという可能性も高いのです。
3. 見えなかっただけ?社会と家庭のプレッシャー
昭和の時代には「学校は行くのが当たり前」という価値観が非常に強く、
学校に行かない子どもは「わがまま」「怠けている」として責められることが一般的でした。
また、教師や親も「登校させること」が正義とされ、
子どもの気持ちに耳を傾ける余裕がなかった場合も多かったのです。
そのため、体の不調として現れたり、
家庭内で孤立したりしながらも「不登校」とは
認識されなかったケースが存在していたと考えられます。
昭和の時代には、学校に行かない選択肢がほとんど認められていなかった一方で、
「不良」と呼ばれる、社会や大人に対して反発する若者たちが目立つ存在でもありました。
彼らは暴走族や校則違反、喫煙や喧嘩など、目に見える形で反抗を示すことで、
自分の居場所や感情を訴えていたともいえるでしょう。
今で言う「不登校」の子どもたちが内にこもって孤立するのに対し、
当時の若者は「外へ向かって反発する」ことで心の叫びを表現していたのかもしれません。
つまり、表現の仕方が違っていただけで、学校や社会に適応できない・しづらい若者は、昔から一定数存在していたのです。
こうした現象もまた、「昔の子は我慢強かった」という通説への一つの反証になるのではないでしょうか。
4. 現代の不登校:なぜ増えているのか?
現代では、SNSやインターネットの普及により人間関係が複雑化し、
いじめや不安、過度なストレスにさらされる子どもが増えています。
一方で、教育の多様化が進み、
学校以外の学び方(フリースクール、オンライン授業、ホームスクーリングなど)も増えています。
これは、社会が「学校に行けないこと」=「問題」ではない、
という価値観を受け入れつつある証拠でもあります。
さらに現代の特徴として注目すべきなのは、
子どもたちの反応の「内向き化」です。
かつての若者が外で暴れたり、社会に対して直接的に反抗したのに対し、
現代の子どもたちは自室にこもり、
ゲームや動画、SNSといった娯楽に没頭することで、
大人や社会に対する違和感やストレスを表現する傾向が強まっています。
これは、娯楽の多様化とインターネットの普及によって、
家の中で完結する世界が広がったことと無関係ではありません。
現代の子どもたちは、無理に外に出て誰かとぶつかることなく、
自分の世界に避難する術を持つようになったのです。
一見すると「ただの怠け」と捉えられがちですが、
実際は静かなSOSであり、周囲の理解と支援が必要なサインでもあります。
5. 結論:「昔はいなかった」は本当か?
結論から言えば、「昔は不登校がいなかった」というのは正確ではありません。
統計に表れていないだけで、
実際には「学校に行きたくても行けなかった子どもたち」は存在していたのです。
そして現代は、そうした声がようやく社会に届くようになった時代とも言えるでしょう。
見える化されたからこそ、支援が届く。
「増えた」のではなく「見えるようになった」、それが本質です。
もう一つ見落としてはならないのが、
子どもたちのSOSの出し方が時代とともに変わってきたという点です。
かつては反抗的な態度や非行行動として現れていた内なる苦しみが、
現代では沈黙や引きこもり、
オンライン上での発信といった目に見えにくい形で表れることが多くなっています。
これは、大人が気づきにくくなる一方で、
子ども自身が「声を出しにくい社会」になっていることの裏返しでもあります。
だからこそ、昔と同じ価値観で「最近の子は弱い」と切り捨てるのではなく、
今の時代の子どもなりの助けのサインを正しく受け取る姿勢が求められています。
不登校は「増えた」のではなく、「見えるようになった」だけでなく、
「伝え方」が変化したことで、大人が学び直す必要が出てきたともいえるでしょう。
不登校を経験した子どもたちには、
ある“共通点”があると感じています。
それは、
将来に活かせる大きな可能性を秘めているということ。
私自身が元・不登校だったことに加え、
16年間多くの不登校の子どもたちを見守ってきた経験から、
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6. おわりに:不登校は昔はいなかったの誤解
不登校は「問題」ではなく、
「背景のあるひとつの状態」です。
大切なのは、子どもの声に耳を傾け、
その子にとって最も安心できる方法を一緒に考えることです。
私たちは、過去の価値観を振り返りながら、
未来の子どもたちのために「教育のあり方」を模索していく必要があります。
一人ひとりの背景を理解し、その子に合った関わり方を模索する。
それは決して理想論ではなく、現実に多くの子どもたちが変わっていく姿を見てきたからこそ、私自身の中に確信として残っています。
一人ひとりをきちんと見て、丁寧に教育すれば、どの子も必ず輝ける。
これは、不登校の子も、学校が好きな子も、どんな性格の子でも例外ではありません。
大切なのは、
その子の「本来の力」を信じて支えることです。
これからの教育は、
すべての子どもにとっての「安心できる場所」であるべきです。
そのために、大人たちの意識が変わり、社会全体が子どもたちの声にもっと耳を傾けることが求められています。
✅ 記事のポイント一覧
-
「昔は不登校はいなかった」という主張は誤解を含んでいる
→ 実際は統計に現れていなかっただけで、登校できない子どもは存在していた。 -
「不登校」という言葉や概念自体が比較的新しい
→ 1980年代以降に一般化された言葉であり、それ以前は「登校拒否」と呼ばれていた。 -
昭和時代は学校に行くことが「義務」であり、休むことは許されない風潮が強かった
→ 学校に行かないことは「怠け」や「甘え」と見なされやすかった。 -
不登校の状態は、かつては見過ごされたり、家庭内で隠されていた可能性がある
→ 可視化されなかっただけで、苦しんでいた子どもはいた。 -
昔の若者は「不良」として外に反抗していたが、それも一つのSOSだった
→ 社会に適応できなかった若者たちは、違った形で葛藤を表現していた。 -
現代の子どもは家の中で静かに反応する傾向が強まっている
→ ゲームやSNSなどに没頭することが「現代的な反抗」であるとも言える。 -
現代の不登校増加は「娯楽の多様化」や「価値観の変化」によるもの
→ 学校以外の学び方が増え、「行かない=悪」ではなくなりつつある。 -
現代の子どもたちは目立った反抗よりも「沈黙」で不安を表現する傾向がある
→ 目立たない分、大人が見逃しやすくなっている。 -
SOSの出し方が変わったことに、大人が気づき対応する必要がある
→ 昔の常識で現代の子どもを見るのは危険。 -
「不登校=問題」ではなく、「その子なりの表現」であると捉える視点が重要
→ 一律な対応ではなく個別の理解が求められる。 -
一人ひとりを丁寧に見て教育すれば、どの子も必ず輝ける
→ 実際に多様な子どもと関わった経験から得た確信。